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ジェームス・トンプソン(James Thompson、男性、1978年12月16日 - )は、イギリスの総合格闘家。イングランド・ロッチデール出身。ロンドン・シュートファイターズ所属。 ヘラクレスを彷彿とさせる筋骨隆々とした肉体を持ち、その試合は勝ち負けにかかわらずKO決着となることが多い。PRIDEでのニックネームは「HYPERウルトラMEGAパンク」。 サッカーの母国イングランド出身ということもあってか、戦極でのキャッチコピーは「マッスル・フーリガン」。 ゴングが鳴ると同時にダッシュをし、敵にラッシュを仕掛けるゴング&ダッシュ戦法を得意としている。近年は、相手の様子を伺いながらのファイトも見られるようになってきている(吉田秀彦戦、キンボ・スライス戦など)。 == 来歴 == ラグビーとウェイトリフティングで体を鍛え、かつては借金取りなどの仕事で生計を立てていた。 2004年10月31日、PRIDE初参戦となったPRIDE.28ではエメリヤーエンコ・アレキサンダーと対戦。ゴングが鳴ったと同時に突っ込んだまではいいがカウンターのフックを食らい転倒、そのまま上から殴られて12秒でKO負けをしてしまう。しかし、ゴングまでの間相手を睨み付け、極限の興奮状態に陥っていたためかプルプル震える様子が話題となった。 その後はPRIDE 武士道 -其の八-にて戦闘竜、PRIDE.30にてアレクサンドル・ルングと対戦。共に1RKO勝ち。 2005年11月23日、プロレス興行のU-STYLE Axisに参戦。ヒカルド・モラエスと対戦し、膝蹴りでTKO勝ち。 2005年12月31日、PRIDE 男祭り 2005でジャイアント・シルバと対戦し、1RTKO勝ち。 2006年5月5日、PRIDE 無差別級グランプリ 2006 開幕戦の1回戦で藤田和之と対戦し、右フックでKO負け。 2006年12月31日、PRIDE 男祭り 2006で吉田秀彦と対戦し、マウントパンチでタオル投入によるTKO勝ち。 2007年2月10日、Cage Rageでバタービーンと対戦し、43秒でKO負けを喫した。 2007年4月8日、PRIDE.34で総合格闘技を始めるきっかけとなった憧れの選手であるドン・フライと対戦。試合前の睨み合いから、真っ向勝負の殴り合いを展開してTKO勝ちを収めた。 2007年8月、チーム・トロージャンを離脱し、エクストリーム・クートゥアに移籍した。 2008年2月16日、EliteXCでブレット・ロジャースと対戦し、パンチラッシュでKO負け。5月31日、EliteXC: Primetimeでキンボ・スライスと対戦し、3ラウンドにパンチラッシュでTKO負け。 2009年3月20日、戦極初参戦となった戦極 〜第七陣〜でBIG・ジム・ヨークにKO負け。 2009年10月25日、DREAM初のケージ開催となったDREAM.12でDREAMに初参戦。メインイベントでアリスター・オーフレイムと対戦し、開始33秒フロントチョークで一本負け。参戦が発表されたのが開催2日前の10月23日という緊急参戦となった〔10・25『DREAM.12』追加対戦カード発表!!アリスターvsトンプソン決定!! DREAM公式サイト 2009年10月23日〕。 2010年9月25日、DREAM.16で川口雄介と対戦し、1-2の判定負けを喫した〔【DREAM】石井慧が国内初勝利、桜庭和志は生涯初の一本負け!(3) 格闘技ウェブマガジンGBR 2010年9月25日〕。元々はミノワマンの対戦相手として調整されていたが〔KID欠場…谷川氏「あきらめました」 スポーツナビ 2010年9月23日〕、石井慧の緊急参戦により対戦相手が川口に変更となり開催前日に参戦が発表された〔【DREAM】9・25川口雄介VSジェームス・トンプソンが追加!石井VSミノワマンは第7試合に 格闘技ウェブマガジンGBR 2010年9月24日〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ジェームス・トンプソン (格闘家)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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